ゆかりびと

Person

和光武道具に所縁のある人物をご紹介していきます。

松田秀彦(1852 – 1939年)
剣道範士九段/雖井蛙流平法継承者

鳥取藩士(鳥取藩槍術師範)松田又之進の子として生まれる。幕末から明治にかけて活動した武術家。大久保利通暗殺(紀尾井坂の変)に関与したことでも知られる。後年は鳥取県下の巡査教習所、監獄、学校で剣道を指導。毎年生徒を引率し、京都武徳殿で行われる武徳祭大演武会に参加した。また、大日本武徳会鳥取支部創立に尽力した。流派は疋田流槍術・薙刀術、雖井蛙流剣術。称号は大日本武徳会槍術範士、薙刀術教士、剣道教士。

太田義人(1906 – 1987年)
剣道範士九段/雖井蛙流平法継承者

明治39年8月19日鳥取県岩美郡中郷浜坂(現鳥取市浜坂)で生まれる。旧姓須崎。因伯尚徳会(大正7年8月入門)と鳥取商業学校(大正10年4月入学)でともに松田秀彦に就いて剣道を学ぶ。大正15年4月日本体育会体操学校に入学、合わせて修道学院(高野佐三郎)に入門し、剣道修行に励む。昭和3年3月卒業して鳥取に帰り、鳥取第一中学校(教諭)、大日本武徳会鳥取支部、鳥取県警察部ほかで剣道を教授するかたわら、因伯尚徳会の維持存続に努めた。昭和18年9月10日鳥取大地震。倒壊した因伯尚徳会を私財で再建し、これを尚徳練武館と称した。敗戦によって公職追放と剣道禁止に遭遇し、余儀なく道場を譲渡するなど辛酸をなめたが、追放解除とともに活動を再開し、鳥取のみならず全国剣道組織の結成に働いた。昭和36年6月には尚徳練武館の復興を実現した。昭和62年2月26日、82歳で死去。剣道範士九段。雖井蛙流平法継承者。